2009年4月13日月曜日

電子の紙と、本当の紙

最近は、逆にあまり聞かれなくなった言葉の一つに“ペーパーレス”と言うものがある。

いろいろな書類を“電子化”する事により、紙の使用量を減らす、と言う試みだが、ここ10年くらい社会がこの方向で動いた事で、「電子化した方が良いもの」と「電子化しない方が良いもの」とがハッキリしたので、もうあまり“研究テーマ”では無くなったからだと思われる。

僕らの生活の中で、確かに紙は減っていると思われる。
僕の場合一番顕著なのは、雑誌を買わなくなった事だ。

以前は何か趣味等の情報が欲しい時は、とにかく雑誌を買った。
新聞やTVといった“一般情報”では全然足らない、細かな情報は、それ専門の雑誌を買って読むしか、方法は無かったからだ。

しかし今は、それこそ“ググれ”ば事足りる。雑誌などより、遙かに濃くてタイムリーな情報が瞬時に検索出来るのだ。自分でインデックスを作ったり、ファイリングする必要も無くなった。
これで、“紙で残す”ものが、格段に減ったのだ。


新聞も読まなくなった。
歳とともに目がきつくなってきたせいもあるが、僕の場合iPodのPodcastingで耳から情報を得ているので、物理的に新聞を広げて読みたい記事を探し、目を通す、という習慣が無くなってしまったからだ。

通勤や移動の時間や、疲れて目を休めたい時でも、耳はいつでも“使用可能”なのだ。



一方、どうしても未だに“紙”に頼っている部分も多い。

各種書類は未だに、物理的に送られてきて、手書きで記入し、判を押して提出する、という作業が数多く残っている。これはこれで、この行為自体の必要性(ある種のハードルとして)や、作業者の“日々の糧”となるものなので、残さざるを得ないのだろう。

まあ、その内無くなるとは思う。
このまま不景気が続き、役所がドンドン予算を絞られ、慢性の“人手不足”が浸透すれば、自ずと更なる“省力化”の必要に迫られるから。

今年の初めに株券の電子化が話題になっていたが、もう市場自体が電子化されているのだから、その成果物が電子化されていくのも、当然の流れだ。

しかし、この電子化の進んだ株式の世界でも、相変わらず「源泉徴収票(調査票)」は郵送されてくる。確定申告に、必要だからだ。株取引自体、まだまだいろいろな形がある(100%電子化ではない)ので、これもまた、当分続いていくだろう。

でも、確定申告も電子化が進んでいる事を考えれば、その内無くなると思われる。



さてと、
だから、紙はその内全部、無くなるのか?

答えは「No」だと思う。

本物の紙には、またそれで出来た成果物には、“イメージ”があるのだ。
人間の目からはいる情報とは、“文字”や“写真”も勿論だが、全体から発するイメージがあり、それがメッセージとして、人の脳裏に焼き付く。

Webというメディア、Videoというメディアにあるのと同じような“質感”が、間違いなく“紙メディア”にはあり、そこから何かのメッセージを受けて、僕らは行動しているのだ。


紙の方が、伝えやすいメッセージがあり、それで表現しようとする人々がいる限り、紙の文化はまだまだ廃れないのだ。

上手く使い分けていきましょう。

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